1954年8月24日
歩みの中で体験した仕事
身体の経験(part1)
身体の経験(part2)
出会えた人
自力整体!
感性の目覚め
さて、2012年から
起源を氣源に

 
1954年8月24日

その日がどんなお天気だったか記憶には無いけれど・・・。午年で、おとめ座です。

多分、暑い日だったことでしょう。お母ちゃんが汗をかきながら(汗どころではないです!ね)生んでくれたのだろうなと想像します。

二四が八という誕生日は、なんとも単純な九九ですけど、大好きでしてどこかはわからないけれど、身体の奥?魂?でじ~ん、と響くところがあって生まれてきた!を強く感じています。

よくぞこの日に生んでくれました!と母に感謝です。

生まれたときにはその人の生きる道が決められているという話を聞いたことがあります。

この日から、私は、自分の決めた道を歩み始めました。この世に生まれて来られなかった命も多くあるのに、生まれて来た~!を感じられ、後々知ったのですがこの世とあの世のボーダーラインのところでこの世に来られなかった姉と兄がいたそうで、その魂のおかげかも知れません。

やっと来られた私のこの世はどんなかな~?

わくわくのこの世をなんと!もう半世紀プラスαも歩きました。

これから始まる私の物語りにお付き合いいただければありがたいです。

兄ちゃん姉ちゃんの無念を背負っているというのにそんなこともわからないで、昭和の高度成長期が私の幼少時代です。それなりの物質の豊かさの中で父母に守られてしんどいこと味わうことなく平々凡々。

衣食住に不自由なく楽でいることが当たり前で苦しみを知らない生活をして育ったので、ちょっと嫌な事があったら、泣いたり怒ったりしていました。 自分勝手でわがままで、思い通りにならないと周囲が悪いのだと自分を見直すこともなく不平不満を抱く始末です。

父は家族のために毎日惜しみない肉体労働の仕事で朝早くから深夜まで働き、作業服は汚れ汚れてどろんこで帰宅の日々。 服の汚れに父の、父たる愛を感じてはいたけれど、ありがとうが言えませんでした。

母は苦しい家計の中でも学ぶ場をつくってあげたいと学習塾やピアノや書道と通わせてくれて、がんばりや~と言ってくれていたのに、その母の思いがわからないでただ義務的に毎日感動なく嫌々通っていたようです。

そんな父母の愛に包まれながらぬくぬくと甘えて18歳に・・・。

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18歳は高校卒業です。次は大学?うん、受験です。当然のことですがもっと早くから自分の進路を考えておくべきですがやさしさのなかで必死になる事のなかった私は楽ばかりもとめて勉強もせず一生懸命になることなかったので、受験勉強もしていなかったので大学受験はしたものの当然のことながら日本の受験制度では規格外です。認められず、不合格。

何のために大学に行くのかの意志もなく予備校に通って・・・。予備校に行かせてもらえた事にも父母の愛があるのですが、それも無にするようなもったいない青春を過ごしたものです。 だらだらは浪人生活の秋がきても続いて、授業にもでないで予備校の近くの二条城のお堀を歩きながら 空の青さに浸る毎日。目的もなく、生きることの大切さもわかろうとしないで甘んじていただけの日々。

当時、学歴社会の中で大学に行くのが当たり前の時代、そうしなければいけないとそれにむかっていたけれど、なんかわからないで自分の意思がなかったみたい。 思う気持ちがないと熱中もしないしでだらだら過ごしていたのだなと今になって思います。

そんな甘えの生活が19歳まで続いた浪人生活の10月12日
父が死にました・・・。事故で何ともあっけない突然の出来事です。

生きていない人を見たのは始めてですが、それが父でした。それから死ぬことや生きることがどういったことなのかを考え始め、もう40年。 色々な経験してなんと!気がつけば還暦近し~となりました。 暦は60年で1周期していきます。 一回り目が近づいてきたので一回目の仕上げをしようと思ってHPをつくることにしました。

歩みの中で体験した仕事

19歳から仕事をすることになりました。

働くことがお金を得ることになって生活していけるのだと思っていたし、父がなくなって学業断念して 働くのだと、自分が精一杯、受験に向かっていなかったことを父の死に置き換えて言い訳してと自己肯定して逃げていました。

新聞広告にあった会社に面接。おっけ~!入社! なんと、ラッキーなのでしょう! 父の死も、大学に行かないことも、会社で働くことも、生まれたときにそういう宿命が決められていたのかと今は思いますが、ただ今は母を助けたいとの気持ちがあったのでしょうか?あるいは受験からの逃げだったかもしれないけれどここがひとつのターニングポイントになりました。

入社した会社は、時代の流れの中で躍進中の福武書店。(ベネッセの旧名)楽しかったです。

女性も男性と比較せず、認めてもらえる体質のさきがけでこんな私も、10人の同僚のセクションリーダーになって出来る女?になったつもり。一生懸命、頑張った6年間でした。つもりだったけど、
今思うと本質が見えてなかった。自分の中心がまだなくて6年ほどで退社。

それから後、こんな仕事もしました。 歯科医助手、エステシャン、祇園のお店のお手伝い、お葬式のお手伝い、百科事典の訪問販売、 化粧品のキャッチセールス、ブティック販売員、パン屋の店員、喫茶店運営、簿記講師、 中央市場の仲買会社の経理事務、 建設業の経理、清水焼のデザイン、思い出したらまだありそうだけどなんと、色々経験できました。

まあ、たくさんのお仕事ができたと嬉しく思います。

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今度は身体の経験(part1)

10代から、犬が苦手で、高校のマラソン大会で、犬に追いかけられて必死で走ったらタイムアップできて好成績出せたという思い出もあるのですが、体力には自信があって高校3年生の時は50メートル走が、


7、4秒。これ、自慢!

それが…!身体には自信をもっていたはずなのに・・・。38歳のときです。
勤めていた会社の健康診断でひっかかって、即入院。即手術!という流れになりました。
自覚症状はまったくなしで過ごしていたので、心当たりはなく、どこが悪くなったのかも感じないでいたのですが腹部がやたらに出っ張っていたのです。膨らんできたのはbeerの飲みすぎかしら?ダイエットしなきゃぐらいの意識だったのです。

それが、その膨らみはビール腹ではなくて、通常小指の先くらいの卵巣がラグビーボール位になっていたらしい。あれやこれやで癌細胞と遭遇の危機!になった~。

突然、癌細胞との出会いが始まりました。
癌=死。とつながる所なのですが脳天気の私はまだ事態が把握できないで告知されてもぽっか~ん。 危機感なし。
深刻にならなかった。これがかえってよかったのです。
入院生活も充実していたな~。早起きして、鴨川散歩して、毎朝南から北へ出勤していく鳥たちの群れに 「今日もいい日だね~」と声かけて、部屋に戻れば、朝食があって(そう、この頃はまだ朝食は日課でした) 病棟の午前は看護師さんたち、忙しく走り回って大変だな~と思いながら、こちらはのんびり読書タイム。 お昼になって、またご飯。午後からは退屈しのぎに院内をうろうろ探検。
歩けたので病院から続いている鴨川の散策道のベンチでやっぱり父と別れた日のように空をみていたな。 空には、無限が感じられたのです。飼い犬の名前がなぜか空なのも因縁なのかな~?

入院中、仲良くなった人たちの悲しみの思いをいっぱい聞いて感じて、なんでこんないい人たちなのに、 病気で苦しまなくてはいけないの?病室の同病の人たちが、一人二人といなくなっていくやりきれなさもありの状況で、生きると死ぬをみていましたが、私は生きるの方に導かれ復帰!回復!です!
ありがたや、ありがたやです。それから、5年…。

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Part2もありまして。

5年間、再発しなければ安心といわれていたので、退院後の生活はどこかでちょっと構えてビビッてはいたけど生活態度に何の改めもなく命の有り難さも意識しないで、成り行き任せの生活をしました。

これで定期健診も最後の5年目。安堵感のある気持ちで行った検診の日。
発生!!!新しい癌細胞ができていました。
えっ?!きょと~ん。この日に来るかい!?

不摂生して好き放題に、自我を通して生きていたので、「ちょっとは考えや!」と贈られた一度目のメッセージを無視して、手術して治ったし、ちっともしんどくなかったし。

それで当たり前くらいに、そのことに有難さを感じず、気付かずいた私に「これでもか~!」ともう一度チャンスがもらえたのです。そんな幸運は滅多にないです。

2度の癌告知を受けても生かせてもらえるこの身体の強さに感謝して。とはいうものの、

当時はまだ感謝はできてはいなかったけど。

感謝ができるようになったのはこれから出会えた人たちのおかげです。

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出会えた人たっくさ~ん!

出会えた人、幾百人どころではないかも。

袖すりあうは他生のご縁。

何億人の中で会えたってことはすごい確率ですものね。

出会ってその時を分かち合って、また別れもあって。

また出会って分かち合って、離れてはいくけれど

離れていくのは、身体だけ。

魂はひとつにつながっていく…らしい。

私はすごい人たちに出会えた!

二度目の身体のメッセージで心入れ替えました。

とはいうものの、身体は限界ぎりぎりまで頑張っていてくれたのでしょう。

動かずしんどい時期もあって、しんどくてもなんとか元気になりたいと思うもののどうしたらいいのかもわからないで、「ああ、しんど。」を繰り返す日々。

そんな時、出会えました!

自力整体!!!

当時私の情報源は書籍でした。書店にはいくものの体力がまだなくて、歩き回れないですぐ座りたくなるのです。書店に座るスペースが出始めた時代で椅子があったので、「あ~ しんど」と思って座ったその目線の先に「足、腰、膝の痛みを治す自力整体法」という本が平積みされていて、ちょうどその高さがよかった!

その本は、発信してくれました。今になって思えば、著者矢上先生のエネルギー発信が強く感じられたのだなということになります。 よろよろとその本向かって歩き出し…。

生きることを真剣に考えることのできた最初の一歩が始まりました。

私の人生の大きな道しるべとなってもらえた自力整体の本。今もなぜか2冊が本棚に鎮座しますう。

本買って、その日のうちに読んで、説明された実技をしてうんうん。納得。

身体が楽になっていくな。その身体の変化を更に実感すると同時に、執筆者矢上 裕先生の言葉には強い迫力が感じられたので早速会いたくなって会える機会はないものかを探したら近々合宿があるらしい。

奈良の吉野山。ちょうど桜の季節!レッツゴー!行きました!

講義があったり、実技をしたり参加者とお話したりは楽しいけれど

これまで当たり前と思っていた朝昼晩の食事はないよ~。

合宿はなんと断食。これまで朝食もしっかりいただいていた私には、チャレンジです。

余分に食べないでいると身体がすっきりしてきてこれまで気が付かなかったことが、観えてきた感じがしたりして。

桜の花びら5枚なんや、とかね。咲いた花、そして散っていく花吹雪に自然の中で自分が生かされていることに気付きました。土の上で自力整体したら、横に蟻さん這っていて、その小さな身体が動いていることに元気をもらたり。

朝昼、食べないで過ごした日夕食のご馳走はお鍋に心こもったお野菜いっぱい。

単においしいではなくて、これが生きていくと言うことのおいしさなのだな、かみ締めるということを生まれて始めてと知った気がするといってもいいぐらいです。あの食べている時の瞬間は今も残っていて、口に食べ物を入れたときに「おいしいね~!」と食材に感謝の気持ちが出てきます。

そう、感じる。これってミラクル!

吉野山合宿でこれまでの生活から180度回転した時間の過ごし方を知ったことが、出直し地点となって以後、自力整体・整心・整食生活が始まった。

研修や合宿にも率先して参加したし、教室の皆さんとのマキノ(滋賀県)での合宿は矢上先生も来てくださってみんなエネルギー充満!

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↑2003年、滋賀県マキノでの合宿風景
みなさん解放して素敵な笑顔です。

以来、体調はすこぶる好調!

デトックスの風邪は3~4回したぐらいでしたが、12年間寝込んだことはなし。

一度、盲腸憩室が痛み、緊急手術と診断された時も、断食で、水・食べ物を摂取しないで

1週間読書三昧していたら治ってしまった。

 またある時は、犬と遊んでいて段差で転んで左足薬指骨折のけがをしたけれど、翌日から松葉杖で教室行って、自力整体のナビしながら自分の治療も兼ねられて、回復早し。

自力整体のナビゲーターを生業としていると、お得です。

そんな教えを貰った裕&珠野子先生の出会いから、12年。

生き返らせてもらえてから、どんどん世界が広がっています!

これからも、2ヶ月に1度、兵庫県西宮での研修で自力整体の真髄を学び続けていくことでしょう。

感性の目覚め

素敵に生きる人との出会いも増えてきます。

お手本の一人は「早苗ネネ」さん。

1960年代、「じゅんとネネ」として芸能界で活躍されていた時は、

わたしは高校生。テレビの中の人だったけど、10数年前、京都でボイストレーニングをされた時に参加したのが、出会いの始まり。

けばけばしさの全くない素朴な人だと直感したのは大正解で、その当日も初対面の私の家に逗留。狭い部屋で缶ビール片手に語り合える人ってそうそうないです。

2012年、京北のマンガン記念館の洞窟の中でのボイストレーニングは、音の協演、倍音が神秘で幻想で身震いするほど魂に触れたような気がしたものです。

トランスフォーメーションゲームでは、闇や光を見つめて参加者が一体となって泣いたり笑ったり踊ったり歌ったりと、楽しみながらの自分見つめも出来たし、私に感性を目覚めさせてくれた素敵なお姉さまです。

ネネさんは現在トランスフォーメーションのパテシエーターや、和歌うたの創作、平和の集いなど世界で活動中。

一昨年は還暦結婚もされてめでたしめでたし。

↓教室で、Voiceトレーニング。みんな笑顔です。

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もう一人、私の感性を豊かにしてくれる人。

福井 幹(つよき)さん

自力整体の合宿で瀬戸内海玉野のホテルでのこと。

参加者50人ほどが、浜辺で夕陽を浴び、寄せては返す波に幸せな時間を過ごしている時、仙人のような佇まいの幹さんが、笛を吹きながら現れた光景は、さいこ~!!! 今もすぐに思い出すことができる。

透き通る笛の音が風と一緒に身体の中を吹き渡って、洗い流されていったな~。

↑インナー ピース ギャザリング
森のひびき(幹さんと小川由美子さん)自力仲間と一緒に

飼い犬との素敵な出会いも動物の感性を知ることになったわけで、これは「有難(ありがと)宇宙(そら)」が教えてくれました。

さて、2012年から

Enpower人・岩田静治先生を始めとする行動科学研究所順子先生、洋治先生、夕紀さん、尚子さんとの衝撃の出会い発生!



自力整体の研修で、PEP研修と言うのを矢上先生が開催してくださることになった。

PEPってなんかわからんけど、直感人間の私としてはGo!サインがすぐ出た。

直感通り、Personal Enpower Programは強烈に私の丹田に響いてきて、「これ、もっと学びたい」が溢れ出てきた。

今では月に1度、比叡山の中腹、比叡平で個人セッションを受け、おまけにこのHPは夕紀さんにプロデュースしてもらって!と岩田ファミリーとの出会いが2012年にあったのも何か大きな意味があったのだと思っています。

素敵な人との出会いは続々と現在進行形で、未来につながっていきます。

こんなにも素敵な方々との出会いはすべて自力整体が起源となっているのです。

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起源を氣源に

源が起こって起源。それにエネルギーという氣が宿って氣源。それをちょうどいい加減で巡らすと氣源よく楽しく毎日を暮らしていけるという幸せを感じることができるわけです。

年齢を重ねていくと誰しも体型や顔に老化を感じてしまいます。形あるものは皆老化していくのは必然ですが、そのスピード加減は持ち主の意識でスローに出来ます。

毎日、身体に感謝した行動をすること。氣を巡らす自力整体でのメンテナンスはもちろんですが、掃除をする、おしゃれ心で身だしなみを整える、洗顔やお化粧も大切、自分で料理しておいしくいただくなど、生活に追われるのではなく楽しみながら行動すると身体は喜び老化予防ホルモンがたくさん作れます。

また、人とシェアすること。年を重ねてこそ輝けるものがあることを出会えた諸先輩から教えてもらうことが出来ます。

年月が経てば、老朽化していつか終わることを踏まえたうえで、今日ある事を大切にしようと思っていれば氣が巡ってくれて氣源よくなります。

人の一生は生まれたときに設計図が与えられているといわれているけれど、自分にはそれは知らされていないので、人生はいつどこで終わるかわかっていない。ENDがあると言うことは知っているのだけれど、漠然としていてよきENDを目指すと言うこと無しに日々を消化してしまいがちです。

ENDが認識できれば、だからこそそのときを精一杯生きようと思うし、楽しんで過ごさないともったいないと思えるでしょう。

今日を氣源よく過ごすことが、明日を楽しくさせてくれる。

そして、こうして氣源よくできるのは、すべて出会えた人をはじめ、38億年前からの計り知れない氣のおかげでもあると思うのです。

それぞれ自分の人生。生まれてこられたことや、奇跡を知って、生きていられることに感謝していたら、毎日氣源よく楽しくすごしていけそうですよ!

生きることを、考え感じながらこのページをつくってみました。

長い時間、読んでいただいて、物語にお付き合いいただいてありがとうございました。

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